酒井直子

20230111マイストーリー

 

 

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■酒井直子マイストーリー

 

私は32歳で5歳の娘と2歳半の息子の子育て中。

あれは1996年世間ではクリスマスの雰囲気で盛り上がる12月。

凍てつく寒い夜に参列したお通夜の出来事です。

 

3歳の妹ちゃんは、パイプ椅子に座りながら、たくさんの人が来るのを眺めて、床にまで届かない足をブラブラさせていました。

「もうママはいないんだよ」

それすらも分からない状態だと知って、涙がとめどもなく流れてきました。

 

娘が通うピアノ教室のママ友は、私よりも年下で色白でとても可愛らしい方でした。

「食欲が無いけど、ダイエットしようと思っていたからちょうど良いわ。」

夏にはかなり痩せて、あっという間に亡くなってしまったのです。

子供たちの成長を誰よりも楽しみにしていたのに、何でこんなに早く死んじゃったの‼︎

3歳と5歳の子供を残して旅立つなんて、考えただけでも苦しくて、辛くて。

人は何で死ぬんだろ、何でガンになるんだろ?

人が一瞬でお別れする体験を初めてく味わった瞬間でした。

 

 

私はそれから、予防医学に目覚めて、栄養学やアロマやレイキヒーリングなどを勉強して、色んな方に健康の大切さをお伝えしてきました。

忘れもしない、ゼンノアの大会で私の新しいステージは、始まりました。

女性トップリーダー石田京子さんのスピーチと、会社のスタッフの関わり方に驚きと共に感動しました。

ネットワークビジネスに、ほとほと嫌気をさしていた私にとって新鮮な感動は、一生忘れられない宝物です。

 

京子さんはご主人様を闘病の介護を20年以上された末に亡くなられました。

亡くなられた後も悲しさで、いつも涙を流されていたこと。

そんな京子さんが、人生の再チャレンジでの表彰でした。

精神的にも、寂しさと孤独との戦いのなか、

経済的に自立していくストーリーでした。

 

その思いをスタッフの方が受け止めての最高の演出で石田さんを讃えました。

娘さんに成り代わっての天からの声で手紙を読まれました。

 

「もうお母さんの人生を歩んでいって良いんだよ」

 

その会場で私は号泣していました。

会が終わっても、泣きじゃくり、涙を止めることができませんでした。

なぜなら、あの時足をブラブラしていた娘ちゃんと石田さんの娘さんが被ってしまったからなのです。

翌々日に参加したセミナーは、関西からは私1人だけ。

普段会わないのに出会った方々から「いつもありがとう」って私にありがとうの言葉の連鎖。

何、何、?

それは、私のアップの酒田仁さんへのお礼を、私を通じて伝えてくれていたのです。

ありがとうの連鎖!

がここにある!

 

こんな感謝し合える人たちと一緒に、何かできたら素晴らしいんじゃないの。

こんな会社のお役に立てる事、何かないかしら‼︎

 

と帰りの新幹線の中で、愛の真綿に包まれているようなとても幸せな気分になりました。

私は、子供の頃からのトラウマがあります。

 

兄弟が多くて、目立つだけでイジメられると思っていたので、目立たないように、何事もにも控えめにしている子供でした。

 

 

でも高校生になって、素晴らしい先生の出会いで、部活動や生徒会活動に、勇気を出して一歩を踏み出すと、自分の思いを言葉にだして、人が、喜んだり、みんなで事を成し遂げる経験をしました。それが、青春の思い出!

人生で唯一の宝物と思っていました。

 

あの日から、あの青春の時のように、一歩踏み出してみよう!と思えたのです。

自分を信じる‼︎

仲間を信じる‼︎

人生を楽しんでチャレンジする!

 

ゼンノアの掲げる提案は、

「5万円を得られる人を10万人の方々に」

お母さんをお家に帰そう。

お年寄りを社会に返そう。

 

5万円あれば自分の健康を守る製品をタダに出来る上に、お小遣いにもなる。

そして自分の周りの方もタダになっていくなら、みんなが健康を守り続けられるのではないか。

 

これこそ、私が目指してきた世界‼︎

喜んでくれる人の連鎖で社会を変えたい!

新幹線の中の私はこんな思いを胸いっぱいに詰めこんで帰ってきました。

今日もこの思いで善の輪が繋がる活動を広げています。

 

未来の設計図は、いくつになっても描けるもの。

 

諦めかけていた未来のなりたい自分の夢は、

「大人の青春」です。

 

一歩を踏み出すチャレンジをし続けます。