畠山薫

20221124マイストーリー

 

 

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■畠山薫マイストーリー

 

心が折れるって、どういう事かわかりますか?

 

ある大晦日の夕方、朝から出かけていた主人が突然帰って来ると

「アレ出して‼️」と言いました。

意味が分からず黙っていると「売って来るからエンゲージリング出して‼️」と言われ、引き出しの奥から指輪の箱を取り出して手渡すと、主人は何も言わずに出て行ってしまいました。

短い時間だったとは思いますが、お腹の下の方が熱くなって、身体の中でブチっと来れる音。

 

足から身体の力が抜けて冷たくなってゆく感覚は今でも忘れる事が出来ません。

30年前、私は設計施工をする建設会社の家に嫁ぎました。

たくさんの職人を抱えて、お客様の中には有名な俳優、音楽家、デザイナーの方もいらっしゃり、忙しい毎日ではありましたが妻として母として充実した日々を送っていました。

しかしバブルが弾けリーマンショックがあり瞬く間に会社は倒産に追い込まれ、あっけなく破産してしまいました。

 

それでも有難い事に小さく仕事は続けさせていただき【今年こそは‼️

今年こそは‼️】と主人を支え続けました。

 

その思いの中での大晦日の出来事だったのです。

 

暗くなってゆく部屋の中で

【私は今まで何をして来たんだろう】

【私はこの家でどんな存在だったのだろうか】

そんな思いが頭の中をグルグルと回り続け、今まで私を支えていた何かが崩れてゆきました……っとその瞬間、目の前に娘と息子の顔が浮かび

 

【あぁこの人に人生を託していたら大変な事になる。自分の足で立ってゆかなければ】という思いがムクムクと湧き上がりましたが、同時にひとりで生きてゆけない今の自分に愕然としました。

程なくして突発性難聴になった私を支え続けてくれたのは実家の父でした。

【私に謝らなくてもいいよ。心配いらないよ。お前が良くなって大丈夫になった時、今度は誰かを助けてあげなさい」と言って

10年間毎月、子供たちへのお小遣いと一緒に30万円の入った封筒を箪笥の一番上の引き出しに入れておいてくれました。

 

今までの私は夫と家庭を支え続けるだけの人生でした。

それが自分を輝かせる唯一の生き方だと信じていたのです。

 

でももうこの【生き方】は卒業です。

 

子供たちを一人前に育て、私の人生の糧になった今までの人生に悔いはありませんが、

これからは自らが経済の主役に立ち、

考え、学び、生かし、行動する。 

 

誰かを陰で支えて生きるのではない。

私【畠山薫】として、自分のフルネームで生きてゆきたい。

それは自分が自分である事の証だと思うのです。

 

そう強く思い必死で願った引寄せでしょうか、徳積ネットワークというビジネスが、私に希望を与えてくれました。「人に喜んでいただきたい」という思いで創業された社長の人柄に感動です。

 

こんな出会いで、真っ暗な世界にいた私が輝く未来を思い描けるようになり、畠山薫として、たった1人しかいない自分の最高の人生をスタートしています。自分を幸せにする【覚悟】も掴む事が出来ました。

 

「女性の自立」をテーマに、何歳になっても、人生を再スタートさせて、女性がひとりでも、しっかり大地を踏んで、自分の足で立っていける事を、証していきます。

 

関わる多くの女性の自立と笑顔の為、お役に立てる人生が待っているので、ワクワクと感謝しかないです。

 

仲間と共に健康で美しく、自分の命を活かしきります。