塚田貴子

20221129マイストーリー

 

 

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▶月夜のベンチ

■塚田貴子マイストーリー

 

わたしは、昔から精神的にも経済的にも自立している女性が目標だったのに、結婚後、経済はずっと主人におんぶにだっこ。

常に支えてもらってきました。

 

経済的自立!

いつかはいつかはという思いがあっても、穏やかな日常の暮らしに焦ることもなく過ごしていました。

 

私たち夫婦は子どもがいなかったため、主人の経済力のおかげで人一倍、旅行や、レジャーも楽しんで、老後の生活資金もそれなりに貯めてきました。

 

 

ですが、私の幸せは、ある日をさかえに、落とし穴に落ちてしまいました。

忘れもしない201412月、主人が2度目の脳梗塞を起こし、車椅子が必要な身体になりました。そして、その後3度も脳梗塞を繰り返す事になりました。

 

昨年10月初旬でした。5度目の脳梗塞の発症を医師から告げられました。

 

これから先に光が見えない、夫の命のカウントダウンを告げられました。

 

 

病院からひとりマンションに帰った私は、主人のいない部屋に居ることが辛すぎて、真夜中に近所の川のほとりの木製のベンチで肌に刺すような寒さを感じつつ、明け方まで過ごしました。

 

深夜の暗闇の中、ひとりポツンとベンチに座っていた時、

煌々と輝く満月の明かりや

 

川沿いに何本も等間隔で立っていた街灯の明かりさえ、涙でぼやけて、ぼんやりとしか見えませんでした。

コロナ禍で面会も叶わず、入院は4ケ月に及びました。

主人は口から食べることが難しくなり、自分の意志で胃ろうの手術を選択しました。

 

美味しいものを食べることが大好きな主人が胃ろうを選択してまで生きたいと思ってくれたのは、まだ私との人生を続けたいという意志だと私は受け取りました。

 

今私にできることは、最期まで優しい彼の妻であろう。ということだけでした。

 

そして、今年11月に自宅で看取りました。

老後の為に準備していた蓄えは、底をつきました。

大黒柱が、病に倒れて、入院、治療、周辺におこる、さまざまな関連症状でお金は湯水のように出てゆきます。

 

その時は、突然やってくるのです。

 

家族に介護が必要になれば、働きに出ることもままなりません。

 

 

わかっていても、悲しみから湧き上がる不安におしつぷされそうになりました。

 

 

主人を亡くし、心身共に弱っていた私は、優しくあたたかく

寄り添ってくれた友人の存在に救われました。

 

どんな時にも笑顔の素敵な女性です。

彼女も数年前、旦那様を亡くし、同じ悲しみを味わっているから、ただただ寄り添ってくれている優しさに救われました。

 

彼女から教えていただいたのは、悲しみの中から生き甲斐をも見出していることができ

見いだすことができる

 

るということです。

健康に携わる仕事として、ネットワークビジネスをしている彼女。

 

健康であるかないかは、病気があるかないかの問題ではなく、人がごく当たり前の日常を、どれだけ元気に愛を持って生きていけるのかを、教えてくれました。

 

私はその友人が提案してくれたことを一つずつこなすことで、経済的基盤が出来つつあります。

 

心と身体、経済の健康、

日常生活を、無自覚に楽しむことや、

不安に怯えることは、やめようと思います。

 

私に与えられている日々を、創れる未来を輝かせていきたいです。

 

 

身に染みて、女性の精神的経済的自立の必要性を強く実感しています。

私、塚田貴子は愛情深い人間です。

私、塚田貴子は人助け大好き人間です。

私、塚田貴子は生涯現役を目指しています。

 

介護は充分にやり切ったので後悔はありません。

 

 

たとえ結果がどうであったとしても、運命を喜ぶそんな人生を生きてゆきたいと思っています。