🔶根っこワークワンポイント配信
20231201
■一卵性親子
母が、認知症と診断された日、病院の駐車場に停めた車の中に入ってすぐ
母さんと二人
こらえていた涙が
声も出せないほどの
悲しみで、溢れてしまいました。
母の夢は、私の幸せ!
その思いを子供の頃から,感じ離婚後も,献身的に子供達や,私の暮らしをサポートしてくれていました。一卵性親子という表現がピッタリの関係でした?
母の人生の終盤をどう幸せにてきるか?
私の仕事と、介護の課題を色々考えて
大きな決断をしました❗
北海道から埼玉への転居🏠💨という決断でした。
引越す6年前に新築した家を売り、会社を売り、埼玉への引越しは、湧き上がる大きな不安に飲み込まれないほどの、覚悟を、自分の中で作り上げていきました。
気づいてみたら、11年前のことです。
今ほど認知症の治療の情報が少なかったのですが、
埼玉の森の中にある小さな精神科での芸術療法とユマニチュード。
このクリニックとデイサービスに通うために、住む場所も決めました。
認知症だからこそ
描ける絵の面白さ、新たな母の才能は、小さく咲き始たのしそうにしていました。
わたしは、新聞社系列の社団法人で、コンサルの仕事やセミナー講師の仕事で、全国を飛び回るほど忙しくなりました。
ショートステイでお世話になりながらも、度重なる事故に見舞われました。
認知症25人に、介護者が一人という現実。
骨折と、左目失明してしまいました。
仕事をしている私と
日々できなくなることが増える母。
ある日家に帰ると、
リビングの絨毯をトイレと勘違いして,母は泣いていました。
わからないんだよ。
わからないんだよ。
私も,泣きながら掃除をし,母を洗い着替えの手伝いをしました。
母の認知症発症は76歳でした。87歳で召されるまでの11年。
母は静かに、脳の記憶が日々なくなっていきました。
この11年の間、私は私をどう生きるか!
若い時の夢や未来に希望を持つ未来像から、ひとりをどう生きていくか!
というものに変わっていきました。
母が亡くなり、子供達が自立して.信頼するパートナーと共に、新たな事業を立ち上げました。
一般社団法人
根っこワーク協会です。
自分の根っことの対話から、人生も、ビジネスは創られていきます。
だってをだったらに、、
諦め上手になるのをやめて!
体系化した大人の教育プログラムを企業に提供しています。
生きている限り、人は自分の人生を作り変えることはできるのです。
12月1日。
今年もあとひとつきです。充実した締めくくりができますことをお祈りします。
文責)野口悦子