■「どうかそばに来ないで」

🔶根っこワークワンポイント配信

20230818

 

■「どうかそばに来ないで」

 

お盆休みが明け、日常の忙しい仕事中心の時間軸に戻りました。

 

お盆には、亡くなったご先祖様をお迎えする習慣。そして、盆と正月くらいは、子供達に

帰ってきなさい!

となぜか強気で言える!

素敵な風習がありますね。

 

お盆とは、父母、祖父母、曽祖父母などの縦のつながり=ご先祖様という意識が、命の繋がりの大切なことを伝えていく日でもあると思います。

 

8月14日は、母の3回目の命日でした。

母が毎年8月15日、終戦記念日に伝えてくれていた、母の戦争の日。

平成18年。母71歳の時のニュースレターです。

〜〜〜〜〜〜〜

終戦記念日。

マスコミの賑わいとは別に、私も当時の記憶を辿っていました。

 

昭和19年の都内の病院の待合室。

酷い凍傷を患い、診察を待っている私の目に、一際目を引いた存在がありました。

 

6年生くらいに見えたその男の子は、全身を包帯に巻かれた赤子を負ぶっていました。

赤子の状態も悪いようで、包帯に噴出液がにじみ、目、鼻、口だけを覗かせ、力なく兄に身を任せるだけの状態。

 

私は「お母さんはいないのかなぁ」と不思議に思いはしたのですが、

それよりも、ボタンがやっと止まるくらいの小さな学生服を着た男の子のあまりの汚さに、

あろうことか

「どうかそばに来ないで」

と心の中で願い、その男の子から離れた席を選んでいたのでした。

 

診察を終え、路面電車に揺られながら帰宅する車内での出来事。

後二駅で降りる私は席を立ち、凍傷の痛みで手が不自由なこともあり、出口付近の金棒を腕で抱き抱えるようにして身体を支えていました。

 

揺れに身を任せ、景色の様変わりをぼんやり眺めていると、次の停留所近ついてきました。停留するやいなや、怒号のような叫び声とともに、出征兵士と見送りの団体が一気に乗り込んできました。

 

「押さないでください!」

「電車が遅れて来ないのだ!お国のために出征兵士のお見送りだ!」

 

叫び声と人の波は続き、時には悲鳴も飛び交う中、車内はあっという間にすし詰め状態に。

小さな私は、押し寄せる人々に潰されそうになり、遂には足も床から浮こうとした瞬間

「ここに子供がいます」

と、誰かが私の両手を高く上げて、周りの乗客をいさめるように叫びました。

と、同時にゆとりができ、窮屈ながらも辺りを見回すと、

 

そこには、病院の待合室で見かけた男の子がいました。

彼はやはり背中に包帯だらけの赤子を背負い、さらに妹であろう3歳くらいの女の子を連れていました。

 

その瞬間

待合室で自分が思った事が急に恥ずかしくなった私は

「ありがとう」

というのがやっとでした。

 

そんな私に、その男の子は

「大丈夫?」

と、優しく声をかけました。

 

汚れた服を着た

その男の子のまっすぐな気持ちが

幼い私に人生で初めて

 

罪の意識❗️

 

ということを教えてくれました。

一瞬とはいえ軽蔑した人に助けられたという経験は、後の私の人生に大きな教訓となりました。

 

あの日出会った美しい心は

今でも鮮明に私の記憶にあります。

 

そして、あの優しさは

今も心の糧になっています。

 

戦争という極限状態の中であっても、人は優しさを失わない素晴らしい存在であると思います。

 

あの貧しくも優しい兄弟に再会することはありませんでしたが、きっと幸せな人生を過ごされたと思います。

 

そして今も心から感謝しています😊

 

😊〜😊~😊

幼い時の母を思うとキュン!とします。

お仏壇に手を合セ(祈る)母の気持ちと通じ合うことができます。

 

考えてみれば、私たちが糧とする思想も言葉も、暮らしの習慣や生き方も・・・そのほとんどが、先達からのいただきものですね。

命そのものは、亡くなった人から譲り受けています。「つなぎ目」は目にも見えず、さわることもできません。

血のつながり。

というもの。

ドクドクという心臓の鼓動の中に、先達の血も流れている。

そう思うと、

いただきものである私たちの存在は、おかげさま。そのものですね。

 

お母さんありがとう。

ご先祖様ありがとう。

 

文責)野口悦子